ほうそうの道しるべ 読書レビュー 『わが子に会えない』

読書レビュー 『わが子に会えない』



オススメ度:★★★★★

最近、養育費や面会交流、親権など、離婚に関するニュースが多い。
離婚に至る原因は様々だと思う。でも、その狭間で子供が苦しんでるという話を聞くと、心が痛む。
この本は、離婚によって子供と会う機会が減った、または会えなくなってしまった親子の話を、その親側の視点から書かれた本だ。
離婚に至るまでの人間模様とか、裁判の事とかも詳しく書かれており、色々勉強になった。
以下、感想を書いてみる。やたら長くなったので、目次も作った。クリックしたら飛びます。



■目次
 ▶1、虚偽DVの横行
 ▶2、なかなか面会交流が出来ない
 ▶3、時代と親子の関係
 ▶4、親子断絶防止法案
 ▶5、子供の想い


1、虚偽DVの横行

 
本書で一番目につくのは、虚偽DVの異常な多さだ。
本書に登場する人は、別居・離婚した理由も、住んでる場所も様々なのに、ことごとくDV加害者にされている。
中にはDVを自覚なくやってしまっているような人も出てくるが、多くの人は殴る蹴るされたとか全く身に覚えがない事を言われ、DV加害者に仕立て上げられるという。
DV冤罪というのはどこかで聞いたことがあったけど、これ程までとは知らなかった。

こういう虚偽DVが横行してしまう原因は、DV防止法にあるようだ。
女性がDV申告しただけで、加害者とされた人が必死にその間違いを立証しない限り、結構簡単に認められてしまうという。
ただDV防止法は、加害者を罰するための法律ではなく、被害者を保護するための法律なので、あんまり刑事訴訟のような「推定無罪」の原則を貫くと、本当に苦しんでる被害者を救えなくなるため、これはやむを得ない部分もあるかもしれない。

問題なのは、これが子供の面会交流の可否や親権争いに悪用されてしまっている事だ。
DV加害者にされれば、親権争いには不利になるし、面会交流も認められにくくなる。
だから離婚調停を弁護士に依頼した時は、当たり前のように相手をDV加害者扱いしてしまっているのが現状なんだと思う。
ここまで全国で横行してるという事は、もう多分テンプレートみたいになっていて、弁護士自身もあまり悪い事をやっている自覚もないのだろう。

この問題を解決する方法は、法律的には実にカンタンである。虚偽申告の罰則を強化し、範囲を拡大すればいいだけだ。
具体的には、現状ではDVの虚偽申告の罰則は10万円以下の罰金に過ぎないが、これを虚偽告訴罪と同等の刑(3ヶ月以上10年以下の懲役)にまで引き上げ、これを教唆した弁護士等にも適用すればいい。
そこまででなくとも、少なくとも懲役刑を選択肢に入れれば、そんなリスクを負う弁護士もいないため、DV冤罪はそのうち撲滅する事だろう。

・・・と、書くのは簡単だけど、実現しようとすると各所からの反発があるだろうから、実現するのは非常に難しそうだ。
でも、虚偽DVなんてやると、弁護士に促されたとしても夫も妻を到底信じられなくなり、夫婦関係がまだ多少なりとも残ってた場合でも完全に破綻するだろうし(その様子も本書では生々しく描かれている)、それに虚偽DVがこれ以上横行すると、本当にDVに苦しんでる女性の発言までもが虚偽じゃないかと疑われかねないため、これは女性のためにも速やかな対策が必要だと思う。


2、なかなか面会交流が出来ない


次に疑問だったのは、一方の親による子供の連れ去り等があった場合、調停請求してから面会交流ができるようになるまでに相当の年月時間がかかり、中には調停中にもう諦めて取り下げてしまったり、調停で面会交流の約束をしたはずだけど、相手が約束を破るから諦めてしまう人も多い事だ。

面会交流調停で決まった事は、本来であれば間接強制という方法(約束違反する毎に、違反金を支払わせる事)で実現できるはずだ。
でも、調停後にまた手続きが必要だったり、判例によると間接強制するためには具体的な曜日や方法などが決まっていないと出来ないらしい。
裁判で間接強制できないと言われたら、また調停で具体的に決めなきゃいけなくなり、そうこうしている内にどんどん年月が過ぎ去ってしまう。

迅速な裁判の必要性や、裁判の実効性の担保は、これは裁判全体に言える事かもしれない。
ただ、特に面会交流などは、年月が経てば経つほど、子供の親に対する愛情も薄まってしまうかもしれず、子供の福祉に悪影響が及んでしまう。

だからまずは、調停で決めるからには、間接強制できる事が前提の取り決めをするべきだと思う。破っても間接強制が出来ない取り決めなんて、全く無意味だからだ。
上記の間接強制の判例は結構最近のもので、本書はケースごとに調停時期がバラバラなので、今は家裁でどういう調停がされてるのかはいまいち分からないけど、その判例に沿った調停をするべきだと思う。

もっと言えば、調停の段階で、一定期間の違反者には自動的に間接強制できるようにしたり、さらには協議離婚する段階でそういう取り決めを強制するような法改正をすれば、面会に至るまでの期間がより一層短縮できるようになり、子供の福祉のためにもなるんじゃないかなと思う。


3、時代と親子の関係


上記の間接強制の判例もそうだし、民法766条の改正、面会交流調停の増加、そして今議論されている親子断絶防止法案など、面会交流や子供の人権の重要性が認識され始め、今は時代が変わり始めている最中なんだなと感じる。

あと、これは僕は知らなかったんだけど、今は試行面会という制度もあるらしく、一度親子を会わせてみて、面会すべきかどうかを判断するんだとか。
長期間断絶された親子などでは、こういう制度を使って、面会を徐々に慣れていってもらうというのは、非常に効果的だと思う。
また、同居親の話(子供が嫌がってる等)を鵜呑みにしないで、子供が本当はどう思っているかの判断材料にもなる。
裁判所も色々考えてるんだなあと感心した。

昔は、子供は夫婦のものだと思われていた。
だから虐待とかがあっても、「法は家庭に入らず」として、国は関与しなかった。
そして離婚したら、同居親のものになり、別居親は会う事が出来ないのが当たり前だった。
しかし、子供の人権が意識され始め、子供はものじゃないんだ、一人の人間なんだとやっと認識され出し、児童虐待防止法が出来たり、面会交流が促進されるようになったんだと思う。

ただ、まだまだだなと感じる部分も多い。
本書によると、面会交流の国際的なスタンダードは年100回以上らしい。
この回数が子供の利益に資する事になると、アメリカでは何十年も前に科学的に立証されてるという。
面会交流の相場が月1回程度の日本は、突出して少ない事が分かる。ただこの相場も、変わりつつはあるようだ。
あと、将来的には、やはり共同親権の議論が出てくるんだろうなと思うし、
子供の福祉のためにも、そうなってもらいたいと願っている。


4、親子断絶防止法案


本書の内容からは脱線するけど、本書にも少し書かれてるように、今は、先ほども書いた「親子断絶防止法案」の制定について議論がされている。
この法案は、片方の親による一方的な子供の連れ去りを防止し、面会交流を促進する事で、親子関係が継続的に維持する事ができるようになる事を目的とする。
上記のように、目的は主に「連れ去り防止」と「面会交流促進」の2つがあるのだけど、この2つを巡って議論が紛糾している。

まず子供の連れ去り防止だけど、「話し合いする事なく、一方的に子供を連れて別居するのはやめよう」と、ごく当たり前の話をしてるだけである。
この法案の一番の反対意見には、「DVされても逃げられなくなる!」という意見がある。
でも、この法案は単に国や地方が啓発するだけで、特に罰則もないから普通に逃げられるし、「相談に応じて必要な情報を提供する」とも書いてあるから、本当にDVを受けてるならその旨相談すればいいだけだろう。
いくら何でも心配のしすぎである。

逆に罰則がないため、連れ去りの抑止力にはならず、この条文は残念ながらあんまり意味ないかもしれない。
ただ、国や地方が正式にそういう事を啓発する事で、裁判所の従来の「継続性の原則」(子供を連れ去って養育を継続した同居親が、親権獲得に有利になる原則)の考え方も見直されるかもしれない。
そうなれば、連れ去り自体も減るだろう。
その点は、多少期待しておこう。

それよりも僕は、面会交流の方が大きく影響があると思う。
以前の民法766条の改正により、面会交流が以前よりも促進される様になったようだ。
さらにこういう独立した法律ができれば、家裁の意識も変わらざるを得ず、より一層面会交流が促進され、また面会交流の迅速化とか回数の拡充にも繋がる可能性も出てくる。
前述したように面会交流には課題が多いので、こちらは大いに期待出来ると思う。

また、これにも反対の意見があり、「法律で一律に面会交流を強制するのは危険だ」というものだ。
まずこれは当事者や裁判所等に促すような法律であって、法律で強制してるわけじゃないし、「一律」というのも、子供の年齢や発達を尊重する事や、子供の意思を表明する機会を確保する事、子供の利益によっては面会交流を行わない事なども書いているので、この意見も間違っている。

ただ、「子供の気持ちを尊重する」というのは、結構難しい問題かもしれない。
子供は同居親のプレッシャーをどうしても感じてしまうため、本心ではない言葉が出る可能性もある。
だから、中学生とかならまだしも、幼児や小学校低学年ぐらいな時は、言葉だけで判断するのではなく、試行面会等での態度とか表情、行動など、一切の事情を考慮して判断してほしいと思う。

あと、反対意見の中には、「面会交流で人が殺された!面会交流は危険だ!」みたいな突拍子もない反対意見もあるけど、配偶者や子供を殺してしまうケースは面会交流に限った話ではないので、トンチンカンな意見だと思う。
この法案も完璧ではないとは思うけど、反対派は、なんかこう的外れな事を言ってばかりだ。もうちょっと、内容を読んでほしいもんである。


5、子供の想い


今まで、面会交流があまりされてなかった事の一番の理由は、
同居親の意思・気持ちが尊重されすぎていた事だと思う。
別居・離婚後に、同居親の「子供を会わせたくない!」と言う気持ちは分からないでもないけど、それは子供を自分のものとして見てしまっていないか。
子供はあなたのものじゃない。一人の人間なんだ。・・・と、言いたい。
自分が会わせたくないかじゃなくて、会う事が子供の福祉にとって本当に悪い事か、
という視点で考えるべきだろう。
両親が高葛藤の状態なら、FPICなどの第三者機関を利用したりすればいい。
夫婦関係が破綻しても、それは親子関係とは別なんだという認識も、必要だろう。

逆に別居親の「子供に会いたい!」と言う気持ちもそうだ。
本書からもそれが痛いほど伝わってきたけど、
これは今まではほとんど無視されてきた。
でも親子である以上はその気持ちも尊重すべきだと思う。
しかし、その気持ちの尊重は、子供の福祉よりは劣後する。
会う事で子供の福祉に本当に悪影響を及ぼしてしまうなら、
これは一時的にでも、会うのは控えたり、禁止するべきだろう。
これは親である以上はしょうがない。親というものはそういうものだと思う。

僕が本書から一番伝わってきたのは、子どもの気持ちだ。
絶対会いたくないという断固たる決意がある子供もいれば、本当は会いたいけど同居親に遠慮して会いたくないと言う子供、でもその子供が試行面会をしてみたらとびきりの笑顔を見せる。
また、面会を繰り返すうちに別居親への愛情が深まり、別居親と暮らしたいと決意していくような子供もいる。
そういう子供の気持ちを家裁の調査官や裁判官は、丁寧に読み取ってほしいと思う。

一番印象に残ったのは、最後のケース。
母親に連れ去られた子供が、自分の意志で父親の元へと行き、父親と住む事を決めたが、父親に親権がないからと村や学校から差別された。
その子供が行政訴訟の最中、裁判官に手紙を書くシーン。
「私は父が大好きで、父と住む事を選んだ。でも父に親権がなく、私は村や学校に差別された。おかしくないですか?」と、裁判官に訴える。

おかしいよ。うん。おかしい。
でも子供がこういう事をハッキリと主張するなんて、父親はさぞ本望だろうなと、そう思った。

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コメント

なんで連れ去りをやめるよういう話がごく当たり前なの?

No title

法の手続きによらず、実力で他方の親の監護権を奪う行為を許すのは、法治国家としてマズイからです。

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